2011年の震災がきっかけとなって、自分のサバイバル能力に疑問を感じはじめ、それは今にもつながっている。
だから、日経夕刊に週一で連載されている登山家服部文祥氏のコラムが、心にひっかかる。
例えば…
「生きるために殺す」ということには解消できない矛盾がある。
“矛盾がある”というのは、きっと自分の心の中に矛盾が生じるということだろう。
なぜ殺していいのか。なぜ生きるためだと殺していいのか。
獲物の行動を予想するために、狙われる側のケモノになってみる。… 足跡、フン、食痕、寝た跡などから情報を集めて、鹿の気持ちになって、鹿の行動を考える。そんな考察を続けていくと、当然ながら獲物に親近感を持つようになる。… そして考える。自分の中ではケモノと人間の存在に違いはない。だが、人間相手なら凶悪犯罪であることが、なぜケモノ相手には許されるのか。いくら考えても答えは出てこない。少なくとも私の中に納得する答えはない。
場数も踏み、山の中で一人いろいろ考えているであろう服部氏の言葉だということもあるが、考えさせられる。