7/13の日経夕刊のなぎら健壱さんのコラムが、なんというか、彼の人柄がにじんでいて心に留まったのでメモ。
活字の面白さに目覚めたあたしは、中学に進むと文芸部に入った。そのころから、つけるようになったのが詩のノートだ。
まず、彼の一人称、”あたし”ってのに、彼の特徴が強く出ていて、つい笑ってしまう。
仮に口語で自分のことを”あたし”って呼んでいたとしても、文章でもそれを使うってなかなかない気がする。
また、文芸部、ってのがあること自体に驚いたが、それに入部しちゃうなぎらさんの感性、行動力?
日記だとどうしてもその日の行動の記録という感じがして、自分の思いが入っていかない。詩にすると、感情がうまく表現できるような気がしていた。
これは、なんか感覚的に共感できる。
あたしは「詩」と「詞」は別のものだと思っている。曲に合わせるため、詞にはどうしても語呂合わせが必要だ。曲の1番と2番の字数を合わせ、似たような言葉を探す。それは「創る」というより、「作る」という感覚に近い。
「創る」より「作る」と説明されると、スッと腹落ちできる。
今でもやることがない夜中には、詩が書きたくなる。寝る前につれづれなるままに、言葉をつづるのは楽しい。ほとんどのノートは読み返されることなく本棚に眠っている。もう何冊ぐらいあるのかはわからない。
今でも詞を書きたくなる衝動を抱えていることを知ると、なぜか嬉しい気持ちになる。
「ほとんどのノートは読み返されることなく本棚に眠っている。もう何冊ぐらいあるのかはわからない。」の部分から、これ見よがしではなく、過去に書いたものにこだわっていない姿が浮かび上がってきて、好印象を持った。
また別の文章を読んでみたいと思わせてくれる、コラムだった。