第一阿房列車/内田百閒著

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第一阿房列車 書評 感想

内田百閒(うちだひゃっけん)の名エッセイを久しぶりに読み直した。

云うまでもなく、旅のお供、特に列車での旅のお供には最適な書である。

以下、心に留まった箇所。

阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。

出だしのこの一段落でまずガツンとやられる。
無駄なく、本人の性格もそれとなく伺わせる。

どっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである

まあわかるけど、子どものような、好き嫌いの激しさには、度々笑わされる。

 
京都の宿屋ではずみで茶代をやり過ぎ、東京までの汽車賃が足りなくなった時の話。

仕方がないので途中迄の切符を買って、そこで夜明けに下車し、朝になるのを待って、駅の近くの古本屋で持っていた樗牛全集の第七巻を売り払い、そのお金で更めて切符を買い足してやっと帰って来た。

京都で売ればいいのに……というのは置いておいて、当時(昭和20年代半ば)は古本を売ればそれなりのお金になる時代だったということだろう。

十月改正の時刻表を開けて巻末の広告を調べて見た。ホテルと云う名前の宿屋はいくつもある。しかしどうも信用できない。……ホテルと云う名前だけで帝国ホテルや都ホテルを類推するわけには行かない。

時刻表の巻末の広告が頼りになるというのも、あらためてそういう時代だったんだなと。

 
お金の貸し借りについて。

一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質(たち)のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。

確かに、そんな状況の人に貸しても、返ってくるはずもない。

百閒先生の旅のお供は…

国有鉄道にヒマラヤ山系と呼ぶ職員がいて年来の入魂である。年は若いし邪魔にもならぬから、と云っては山系先生に失礼であるが、彼に同行を願おうかと思う

入魂(じゅっこん)もそうだが、たびたび馴染の薄い表現や単語が飛び出してくる。
目に留まったところでは、他に、「心丈夫」や「胸中に成竹あり」「歩廊」など。
こういうところも嫌いではない。

精養軒食堂でウィスキイを飲んだ。私はウィスキイは余り好きではないが、ほっと安心したところなので、こう云う時の一盞(いっさん)はうまい。山系もうまそうに舐めている。

こういった何てことのない描写が、安心感を誘う。

 
市ヶ谷から省線電車に乗ったという話が何度が出て来るのだが、この「省線電車」というのは、大都市周辺で運転された近距離専用電車線を指したようで、要は普通に国鉄のことらしい。

僕はいつも汽車に乗る時、そう思うのですがね、汽車が走っている時は、つまり、機み(はずみ)がついて走り続けているなら、それで走って行ける様な気がするのだが、こうして停まって、静まり返っているこれだけの図体の物を、発車の相図を受けたら動かし出すと云う、その最初の力は人間業ではないと思う……気になるのは、動いている汽車と停まっている汽車とは丸で別物だと云う事です。その別別のものを一つの汽車で間に合わせると云う点が六ずかしい

これまた独特の感性。でもわかる。
難しいを「六ずかしい」と表記するのも筆者の特徴。

私が髭剃りに行く近所の床屋の手前に水菓子屋があって、店先にバナナが列べてあるのを見ると、いつも買いたくなるのだが、いつでも床屋のお金しか持っていないのでその儘帰ってしまう。それで一たん帰って来れば、更めて家の者を買いにやるとか、外の序(ついで)の折に買って来てくれと頼むとか、そう云う程にこだわってもいないので忘れてしまう。そうしてその次に床屋へ行くと又店先のバナナが目について、買いたいなと思うけれど、矢っ張りお金は持っていない。

どうってことない日常描写の、安定感ここにあり。

ボイに麦酒を取って来させた。真暗な窓の外に、柱で頭をぶっつけた時の様な火花が、ちかちか散って行くのを見ながら、二三本飲んだら曖昧に大阪へ着いた。

「曖昧に着く」というのがどういう事を言っているのか釈然としないが、酔って意識が曖昧だったのだろうと推測。

昔国府津から御殿場へ上がって行くには、どの急行でも皆山北駅に停まって、汽車の尻にもう一つ後押しの機関車をつけた。山北駅は山間の小駅なのに、大きな機関車庫があって、逞しそうな機関車が幾台も並び、短かい煙突からもくもくと煙を吐いていた……うしろへもう一つ機関車をつけて、後から押しても、余程勾配が急だったと見えて、のろのろと、人が歩く位しか走らない。そうして隧道(すいどう)に這入る。

御殿場線の山北には国府津乗り換えで一度だけ行ったことがある。
なるほど、足柄峠も近い立地ゆえ、勾配が急で機関車庫があったというわけか。

ヒマラヤ山はお酒を飲むと少し何かしゃべり出す。ふだん滅多になんにも云わない男だから、それも酒の一徳と云う所かも知れないけれど、折角ながら、そう云う時の話しは頭も尻尾もなく、だから話しがどっちを向いているのか解らない。

「話に頭も尻尾もなくて、どっちを向いているか判らない」という表現が面白い。

人中で半知りの人に会うぐらい気をつかう事はない

傍若無人の様でいて、気ぃ使いぃの百閒先生。
なお、「半知り」というのは作者が勝手に作った言葉かと思いきや、一般的な言葉だった。

 
広島を観光。

太田川の相生橋の上で自動車を降りた。相生橋は丁字形に架かっていて、こんな橋は見た事がない。橋の上に起って見る川の向うに、産業物産館の骸骨が起っている。天辺の円塔の鉄骨が空にささり、颱風の余波の千切れ雲がその向うを流れている。

当時は「原爆ドーム」という呼称はさほど浸透していなかったよう。

山系君どうだいと云うと、彼はその広広とした畳の上のどの辺を見る可きかが解らぬ様な目つきをして、中途半端に突っ立っている。支店長も畳の上に起っている。そうして番頭も起っているし、私も起っている。妙な工合で、差し押えに立ち合った様な気がする。

ユーモラスな描写。「差し押え」ですかい。

 
百閒を招待して一献したいという誘いを受けて。

差し閊え(つかえ)度くても、何の用事もないから差し閊えるわけに行かないけれど、何も用事がないのは、何も用事がない様にして来たからで、用事がないと云うのが私の用事である。

「用事がないと云うのが私の用事」。一貫している。

 
家を引っ越して。

移ったら人に知らさなければならない。しかし知らせると人が来る。決して人が来ない様に、と云う事は出来ないけれど、小屋から這い出してまだ新居が片附いていない所へ、それはお目出度うと云う様な挨拶でぞろぞろやって来られては面倒臭い。それで転居の通知を出すに就いては、遠隔の地を先にする。来る心配のない相手には知らしても構わない。郵便で何か云って来るのは大した事はない。しかし市内の名宛には中中出さない。余っ程片づいて、落ちついて、人が来ても邪魔にならぬと云う時まで通知を差し控えるという方針を立てた。

人柄がよく出ている方針だ。

 
断捨利の意味も込めて、読み返して気になる箇所だけこのブログにメモをし、本自体は処分してしまおうと思っていたが、思いのほか味わい深く、また何年か経ってから読み返してもいいかなと思える内容だったので、捨てるのはやめておくことにした。

 

<<追記>>
「第一阿房列車」というタイトル。
ずっと私は「だいいちあぼうれっしゃ」と読むのだと思っていた。
結構、そういう人多いと思うけどどうなんだろ……


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