リヴィエラを撃て/高村薫著

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リヴィエラを撃て

十年ほど前に一度読んだことがあったものを、再読。

丹念に取材した内容を骨太な小説に落とし込む手腕では、日本有数といっても過言ではないだろう。個人的に、この作者には、かなり信頼を置いている。

本書も上下にわたる大作ではあるが、他の小説と違うのは、日本人も出てくるが、多くの登場人物は日本人以外であり、舞台もアイルランド、イギリスがメイン。そういう意味で、人の名前が頭に入ってきにくいという根本的な問題に加え、政治的背景や組織の役割等を理解するのに頭を使う。

結果、面白くはあるが、のめり込んでぐいぐい読んでしまうほどの魅力には欠けている気がした。

以下、心に留まった点ないしは、覚えておきたいと感じた点を列挙。

風の唸りもなく、さほど冷え込みもしない。気がつくといつの間にかちらついていた白いものは、皇居内濠の漆黒の水面に音もなく吸い込まれている。優しい雪だ。この三年の間、冬のこの季節に何度も見てきた東京の雪だが、男はあらめてその美しさに胸を打たれた。自分の目に、この世で最後に映るものが、この眩い灯火の海に散る蒼白の雪であることを幸運に思った。

東京の雪を”優しい”とか”美しい”とか思ったことがない自分からすると、不思議な感覚。

今あるのは、長い間空白になっていた身体の一部を埋めるような何かの熱だった。長い間紛失していた靴下の片方が、ひょいと川の向こうに転がっているのが見えたような、おかなしな安堵。…… こうした生活に不満はなくても、それは個人の魂のレベルでは、充足とは別語だった。あえて言えば、自分の心身すべてにわたって、この二十年何か欠けていると思い続けてきた。大したものではない。単に靴下の片方のようなもの。

今の生活が平穏であればあるほど、誰しも、今の生活に何か欠けていると思うものだろう。
その感覚をうまく表現しているように感じた。

大塚の監察医務院の冷蔵庫に保管してある遺体を見

調べたところ、現実でも大塚に東京都監察医務院は存在し、東京都23区(及び多磨・島嶼地域などからも委託されている)内で発生したすべての不自然死において、死体の検案及び解剖を行っている。

外事警察のガードの固さは一般市民に対してだけのもので、内部では猿の毛繕いよろしく機密を洩らし合うことで、結束を確認し合うような奇妙な風潮がある。

「外事警察」とは、公安警察の中で、外国諜報機関の諜報活動・国際テロリズム・戦略物資の不正輸出・外国人の不法滞在などを捜査する外事課のことを指すようである。
「猿の毛繕いよろしく機密を洩らし合う」、変わった言い回し。

アイリッシュは全部カソリックで、全部貧しくて、全部飲んだくれで、全部IRAだと言うのは、ブリットが全部不信心で、全部金持ちで、全部変態で、全部紳士だと言うのと同じだ。

ステレオタイプの偏見なのだろうが、この偏見が存在することすら知らない自分のような人が本書を読むと、わかりにくい点があることは否めない。

思えば、アイルランドでは、この千年、すべて消えていくものばかりだった。多くの人が島を去り、言葉が消え、血が交じり、今は民族の残滓すらない土地で、ある意味では今こそ自分たちはほんとうに自由なのだ。

こういった歴史的背景についても、自分の無知さを感じる。

泥酔したダーラム候がピアニストのノーマン・シンクレアに対して言う言葉に

日本はいいよ、日本は。上品で穏やかで。人も国もまるで眠る魚だ。目は開いているが、寝てるんだよ、あれは

というのがある。褒めているのだろうが、日本人からすると辛辣な見方である。

音楽院へ行かない日は、シンクレアのエネルギーが余っているから、二十九番から三十二番までの後期のソナタをいっぺんに弾いたりする。中でも陰影の深い『ハンマークラヴィーア』は、シンクレアの指の下で鬱々と燃える暖炉の熾火のようだった。

実際に聴いてみながら、暖炉の熾火をイメージしてみたい。

自分は、テロリストとしての七年間を、たった今、最大の裏切りで清算したのだ。嘘をつき通さなかったという裏切りで。テロリズムの嘘。テロリストであることそのものの嘘。その嘘をつき通すことがテロリズムの大原則だった。それを破ることがすなわち、テロリストの廃業になる。

ここは、わかるようなわからないような。
テロリストであるということは、嘘をつき続けるということなのか。

文化大革命の真っ最中に、わがアメリカと日本が中国と国交回復をやってしまったのが七十二年。あのころ、中国では何十万という人間が殺されていた。その大殺戮の旗振り役と仲良し協定の話をしに行ったんだ、アメリカと日本は

この現代史についても、自分の知識と認識は曖昧だ。
ジャックは相棒であるCIAの”伝書鳩”に対して、それはアメリカとしてソヴィエト封じ込めを目的としてきったカードだとIRAで習ったことを告げるが、それはキッシンジャーが世間を納得させようと唱えた理論に過ぎないと返す。

実態は、アメリカと中国の二大覇権主義の息が合ったということだ

これがスルーされたのは、文革に関する情報が充分に外に伝わっていなかったによると。

警察の頭ではさすがに躊躇したが、まさしくこれが、ライセンスを持つ人間どもの世界なのだ

スコットランドヤード(ロンドン警視庁)と、MI5、MI6が登場するがその関係性や違いがいまいちわかりにくい。”ライセンスを持つ”と表現される情報機関であるMI5とMI6。

MI5(Military Intelligence Section 5)は正式には保安局(Security Service、もしくはSS)と呼ばれ、イギリス国内の治安維持が任務。司法警察権を持たない純粋の情報機関として設立された経緯から、スパイやテロリストの逮捕は、スコットランドヤードが担当する。

一方、MI6(Military Intelligence Section 6)は国外の政治、経済及びその他秘密情報の収集、海外におけるエージェントを用いた情報工作を任務としている。

MI5、MI6ともに3000名以上の職員が働いている大組織。

子どもを作らなかった警視庁の刑事である手島が妻に、「子供を作らなかったのは、ほんとうによかったのだろうか」と尋ねると

子供がいなかったおかげで、私は大人になれたようなものよ。子供に逃避せずに済んだんだわ

おそらく人は、子供がいればいたで、子供がいることで大人になる。逆にいなければいないで、いないことで大人になるのだろう。

手島がMI5の職員であるキム・バーキンと、バーキンの車に乗ろうとするくだりで。

「これが面倒で、滅多に自分の車は使わないんだが」そう言いながら、バーキンは懐中電灯片手に、まず地べたを這い、レンジローバーの下にもぐり込んだ。爆弾が仕掛けられていないか確かめるためだった。日本では考えられないことだが、イギリスでは警察が要人向けに公に奨励していることだった。車の下にもぐらなくても調べられる、ゴルフクラブのような柄付きの鏡も売られているが、夜は使えない。バーキンは、ドアが開閉された形跡がないかも懐中電灯で丹念に調べた。さらにシートの下に爆弾が仕掛けられていないか確認した後、やっと「OK」が出た。

車に爆弾が仕掛けられているシーンは海外の映画ではよくお目にかかるが、日本ではそんな事件はほぼ聞いたことがない。ベースの安全性が全然違うんだなと思わされた。

 
なお、本書の内容で、いちばんしっくり来なかったのは、裏の主人公とも言うべき「リヴィエラ」の正体である。「リヴィエラ」自体が利用されていたというのはいいとしても、彼の悪意の少なさは、あまりに拍子抜けで肩すかしを喰らった気分になった。


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