ベストセラー作家・池井戸潤氏の最新作「陸王」を読んで

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りくおう

初めて接する池井戸潤氏の作品。
ランニングシューズ×中小企業経営というところが、自分の境遇とも通じるものがあり、珍しく単行本を購入。

 
結果的には、文章のテンポがいいとも思えず、独自色が強い内容とも言えず、目新しさは少なかった。

それでも、仕事に向き合うモチベーションを上げるエッセンスは散りばめられているから、読んだかいはあったかなと思える作品ではあった。
ただし、「半沢直樹」でもそうだったが、仕事論や人間論が説教臭く感じられる嫌いもある。「半沢直樹」は登場人物のキャラの濃さや、ドラマであそこまでやり切ってくれたことで、さほど気にならなかったが、本作では登場人物は強烈とまでは言えず、説教臭がやや強かった。

中小企業の社長の不安と自戒と社員に対する思いなどは、勉強にもなったし心を動かされた。とはいえ、社長になって十数年、シュリンクしている会社の経営者である主人公に対しては、同志のような感情は抱いても、その言葉や哲学への驚きや憧れは感じられなかった。

シューズ作りやシューフィッターに関しては、あまり掘り下げると専門的になり過ぎるからか、意外とあっさりしていたので物足りず。そこを期待していたのに。

アトランティスの社員らがこれでもかというほど嫌な奴だったのも、現実味が薄れた。
メインバンクの新任の担当の変な具合の方が、人間味があった。

総じて、自分はこの本のターゲットに入っていないんだろうなということを痛感しつつ読了。

以下、気に留まった点をメモ。(ネタバレあり)

転職しようと数多くの会社の面接を受けるが、なかなかうまくいかない主人公宮沢の息子である大地。

いってみれば普通の学生だと思うのだが、面接で有りがちな意地悪な質問を跳ね返すほどの「何か」が、どうも自分には足りない気がした。

その会社を後にし、ようやく雨が止んだ空を見上げた大地は、胸に広がる失望をやり過ごすのに苦労した。いままで受けた会社は全部で五十社を下らない。
「オレって、そんなに価値のない人間なのかな」

彼の、就職活動に苦心しながら内情を吐露する様に、つい共感してしまう。

 

我々人類の脳の体積は体全体からみれば二パーセントほどしかないんですが、エネルギーは二十パーセント使うといわれています。そのためには、雑草や樹木を食べるだけでは足りずに、肉を食べる必要がある。つまり、狩りをしなければなりませんが、それには長い距離を走らなければならないんです。ただ走るだけなら、ネアンデルタール人だってできたでしょう。ところが彼らは、同じ走るにしても長時間にわたって長い距離を走ることはできなかったのではないかと考えられているんです。同様に、動物たちも走れはしますが、たとえばトラが走るときには、私たちのように自由な呼吸はできません。前足を出したときに吸って、蹴るときに吐くといった、きわめて単一的で不自由な呼吸しかできない。だから、人間よりも速く走れる動物も、長距離を走るということができないんです。

ネアンデルタール人と我々にそんな違いがあることも、虎と人間で呼吸法が違うことも、いずれも知らなかった。

 
トップアスリートにとってシューズとは。

ランナーにとって、シューズは常に興味の対象である。たとえばフルマラソンの四十二・一九五キロもの長距離を走破するとき、シューズが成績を左右することは往々にしてある。茂木の経験では、シューズの差が出るのは三十五キロ付近から。そのもっとも苦しい時間帯をランナーの体の一部となり、補ってくれるのがランニングシューズなのだ。陸上競技という、道具を使わない生の肉体で戦うスポーツにとって、シューズは最大にして唯一の武器になる。

元箱根駅伝山区間のエースランナーながら、実業団に入って怪我をし伸び悩んでいる茂木の言葉。これによると、三十五キロまではさほど差は出ないとも読める。

 
ランニングシューズの採算性について。

新しいシューズを開発したとき、損益分岐点の販売数は四万から五万足

つまり、四万から五万足売って得た儲けぐらいの資金が、開発に投じられているということ。

仮に一足一万円だとして、粗利三十パーセントで三千円、さらに宣伝費などの事業経費を差し引いて一割の千円が純利益

この計算だと、1,000円x4万~5万足=開発費は四千万円から五千万円ということになる。
そして、開発費のなかで、もっとも高い割合を占めるのは、靴底(ソール)の開発。
現実世界のシューズメーカーも、実際のところソールに力を入れている。ランナーからするとそれに慣れてしまっていて、そこに一番お金がかかるなんて普段は考えもしないが。

アトランティスの『RII』なら、アウトソールの部分とミッドソールの部分では、微妙に硬さが違う素材が使われている。アウトソールには硬めのスポンジラバー、ミッドソールには、軽いスポンジ材。…… 一流といわれるアスリートの大半は、足の真ん中よりも先の、しかも小指の側から着地する傾向がある。つまりそこに軟らかな素材を使ったのでは、耐久性が落ちてしまう

ソールに求められる要素は多様。
着地したときの安定性、グリップ力、反発力など、
そして、一般ランナーの経済的なことを考えると、耐久性も重要。

シューズの耐久性は、レース用のシューズで四百キロ、トレーニング用で七百キロといわれている

ソールを軟らかくするとグリップ力が向上する一方、消耗もしやすくなる。逆に硬いと消耗は遅いかわり、グリップ力が弱くなる。
このバランスをどう取るかも含め、結局のところ、ソールの開発費が高いことがランニングシューズ業界への参入障壁となっている。

サイズは二十六センチで作成してあるけど、四枚あるのは、足幅が狭い、普通、広い、さらに広いーの四種類を想定しているからだ。実際に市販するとなると、国内向けのサイズで、メンズなら二十四センチから二十九センチぐらいまでかな

四種類の足型のデザインを作ってきた村野。実際に足の幅にこれほど気を使っているのは、日本ではアシックスぐらいだろう。

短距離と比べると、長距離の場合は足の指まわりに多少余裕を持たせて、足の指が使えるようにするためにつま先を反らせるような形にする必要があるんで、そうした考えを反映させた形になってる

これは知らなかった。

ジョギングやランニングを始めた初心者が、ああ楽しいな、と思えるスピードというのは、だいたい一キロ六分台といわれているんだ。風を切って走る楽しさが素直に体感できる感じかなあ。そして、このスピードでフルマラソンを走ると四時間台半ばのタイムになる。日本中に、ランニングをする人は約二千万人いるといわれているんだが、その中でフルマラソンを四時間台で走る人の層は、マラソン人口の中で一番多い。一説にはだいたい百五十万人。…… 三時間台で走る人の数は百二十万人。…… 二時間台は十万人しかいない …… ここに属する人たちは、ほとんど商売の相手にならないと思ったほうがいい。もちろん、トップアスリート向けであることには違いないけれども、その靴を買うのは二時間台を目指すか、夢見るかしている三時間台、四時間台ランナーだろうね。全てのランナーの中で、三年から五年のキャリアがある人たちは、約千三百万人いると私は睨んでるんだが、逆にこの層が、実質的なターゲット層になる。

化粧品などでは実際(表面上)の商品のターゲット層より、やや歳をとった層が実際は買うというのを聞いたことがあるが、それは業種は違っても同じなのだ。
二時間台で走るランナーは自分の好みが固まっており、広告宣伝に流されにくいとい理由もあるとのこと。

そして、ターゲット層となるランナーたちにシューズを買わせるためには、「何らかの実績がいる。もっとも手っ取り早いのは、トップアスリートが履いて有名な大会で優勝すること」だと。
これは本当にそうなのだろうか、と一瞬懐疑的に思えたが、よくよく考えてみると、トップアスリートがあるシューズを履いて結果を残せば、それに続く準トップアスリートらも履くようになり、それがさらに下に続き、と最終的にはターゲット層の選択に影響を与えてくるのだろう。
(しかし、そう考えると、二時間台で走るランナーにも結構な影響を与えそうな気もする。)

 
宮沢氏の言葉。

改めて感じたことがあるんだ。ランニングシューズの違いは、突き詰めれば価格や機能ではなく、思想性の違いじゃないかってことだ。たとえば、アトランティスにはアトランティス独自の運動力学の理論がベースにあるんだよ。そして、それを実現させるためのシューズ設計になってる。「陸王」も同じだよな。…… シューズを選択するということは、それを履く人がどちらの考え方に共感するのかということなんじゃないかな

なかなかメーカーの思想性は消費者には届かないとは思うが、本作の中にも出てくるVibramや、Newton、Hoka One Oneあたりは思想性がうまく伝わっているメーカーなのだろう。

 

村野は、シューフィッターとしての自分の実績や経験について、さらにアトランティスでの仕事内容など、ざっくばらんに話した。そんなことまで話して大丈夫なのかと宮沢が心配になるようなアトランティス社内のことまで。だが、聞いているうちに、次第に村野の意図が透けて見えてきた。村野は、包み隠さず話すことで、自分が宮沢を信用していると伝えようとしているのではないか。

意識的か無意識的かはわからないが、自分もそういうことをするなと気づかされた。というか、誰しもが持っている人間らしい特性なのではなかろうか。

 
初めて「陸王」が売れるシーン。

栗山から返事があったのはその三日後のことであった。
「先日はありがとうございます」
電話口の栗山の声は、心なしか浮き立って聞こえる。「検討させていただいたところ、御社の『陸王』に決定しました。お願いできますか」
まさか。
ぽかんとした宮沢の頭の中で何かがはじけた。
初めて、「陸王」が、売れた。
「ありがとうございます」
受話器を持ったまま何度も頭を下げた宮沢は、込み上げてきた喜びに満面の笑みを浮かべたのであった。

下手に盛り上げていない、こういう描写は嫌いじゃない。

 
大地の気づき。

何か新しいものを開発するということは、そもそもこういうことなのかもしれない。
困難であろうと、これを乗り越えないことには、次に進めない。だったら、そのために戦うしかない。時間と体力が許す限り。

「ちょっとしたことだと思うんだけどな」
そのとき、飯山が嘆息まじりにつぶやくのが聞こえた。
たしかにそうかもしれない。
だけど、その「ちょっとしたこと」に気づいて乗り越えるまでが、実は「たいへんなこと」に違いない。

青臭いっちゃ青臭いが、まさにその通り。

 
村野氏の言葉。

ノーリスクの事業なんてない。…… 進むべき道を決めたら、あとは最大限の努力をして可能性を信じるしかない。でもね、それが一番苦しいんですよ。保証のないものを信じるってことが。…… それはすべてのランナーにもいえることかもしれない。真剣に向き合えば向き合うほど、有るか無いかわからない自分の才能や可能性を信じるしかない。

経営とランを結びつけると、スッと腹落ちしやすい自分を感じる。

 
トップアスリートという生き物。

負けたランナーにかける言葉はないよ。負けは、負けだ。負けを勝ちに変える言葉はない。ここから先、本当に復活できるかどうかは、茂木自身の努力に頼るしかないんだ。

「地球を一周半するほど走ってきたっていうのに、オレはあいつに勝てない。それに気づいちまった途端に、心に穴が空いちまったんだよ。その穴から、それまで漲っていたはずの気力が抜け落ちていくのがわかった。砂時計みたいにな。オレはもう、続けられない。… だけど、もっと強くなりたかったなあ。強くなりたかったよ」
こんなにも寂しそうな男の顔を、茂木は見たことがなかった。

他者との駆け引きが比較的少なく、シンプルに自分の力が結果に反映されるスポーツであるがゆえに、引き際はわかりやすいのかもしれない。心の逃げ場はなさそうだが。

 
以前、自分の会社を倒産させた経験のある飯山氏の、大地への言葉。

大事なのは会社の大小じゃなく、プライドを持って仕事ができるかどうかだと思うね。…… いい学校を出て、いい会社に入る--。その発想の延長戦上にくるのは、結局のところ会社の看板であり、組織での肩書きさ。多くの奴らは、そんなものにプライドを抱いているわけだ。もちろん、それを踏みにじられたときには、痛みもあるだろう。だけど、そんなプライドは、所詮、薄っぺらなものに過ぎない。本当のプライドってのは、看板でも肩書きでもない。自分の仕事に対して抱くもんなんだ。会社が大きくても小さくても、肩書きが立派だろうとそうじゃなかろうと、そんなことは関係ない。どれだけ自分と、自分の仕事に責任と価値を見出せるかさ

就職活動中だけでなく、誰もが自問自答する議題。

 
世間とは。

マスコミというより、世間そのものがそうなんですよ。簡単に忘れ、簡単に利用する。興味がなくなったら、見向きもしない。だけど、その世間こそが、我々のお客さんなんだ

特に対消費者のビジネスをやっている会社にとっては重要な事。

 
会社にとっての危機とは。

かれこれ十年以上も会社を経営してきて、宮沢はひとつ、思うことがある。
会社にとっての本当の危機とは、実際にお金に困ることになるずっと前にあるのではないか。
往々にして、そういうときの会社にはまだ余裕がある。
その余裕に任せて、本来すべきことを怠り、必要な改革に着手しなかったがために、数ヶ月後、いや数年の時を経て、目に見える危機が訪れるのではないか。そうなる前に、新たな一手を打つのが経営者の仕事ではないかと思うのである。

耳が痛い。自らにいい聞かせねば。

 
経営者としての素質について。

できるかどうかは別の問題で、やるかやらないかをまず決めるべきだというのはわかる。だが、実際には不安とマイナス思考の泥沼に填まり、前向きになれない。…… 世の中の足袋離れを横目に、伝統だ、百年ののれんだといいながらジリ貧の経営を続けてきた自分は、結局のところその伝統というひと言に逃げ込み、言い訳にしていたに過ぎなかったのではないか。会社の経営なんてのは、ある種才能だ、と宮沢は思う。才能のある経営者は、どんな会社であろうと成長させ、大きくできる。

経営者は常にこの問題から逃げられない。

 

「どうだった」
会社に戻ると、ふらりと飯山が現れて尋ねた。宮沢は首を縦に振り、
「残念ながら」
とだけこたえる。
飯山は社長室の入り口のところでじっと宮沢を見つめたまま数秒間、動きを止め、
「いつもうまく行くわけじゃないさ」
そんなひと言と共にドアの向こうへ消えた。飯山らしい慰めの言葉だが、かといって、ならばうまく行った記憶が宮沢にあるかというとそうでもなかった。

自虐的ではあるが、よくわかる心境。

 
そして、最後に。

カネがなければ工夫で勝つ。

すべての中小企業が従うべき掟。


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