江國香織さんの短編集「号泣する準備はできていた」を読んで

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

goukyuusuru

江國さんの小説に接するのは、先日読んだ『つめたい夜に』に次いで二作目。

『つめたい夜に』でもそうだったが、言葉を選ぶセンス、表現の切れ味がずば抜けている。

そして、普段自分が無意識に漠然と思っていることを言葉にしてくれることが多く、非常にスッキリする。
ずっと頭の隅に置いたままで、ほこりをかぶっていた自分の意識や記憶や経験が、ようやく陽を浴び、きっちりとあるべきところに整理されたような。
そんな爽快感を与えてくれる。

読書の楽しさを、短篇小説という接しやすい形で提供してくれることに感謝。
他の作品も読んでみたい気持ちがより強くなった。

以下、印象に残った表現や、記憶に留めておきたい箇所を書き留めておく。

じゃこじゃこのビスケット

まずはこの”じゃこじゃこの”という、擬音に軽くやられる。

その夏、私は十七になったばかりだった。たしかに若かったが、若いことは愉快なことではなかった。私には七つ歳上の兄と四つ歳上の姉がいて、する価値のあること、大人の度肝を抜くようなこと、は、みんな彼らが先にやってしまったと思っていた。

若いことは愉快なことではなかった」。自分もそうだったなー。
兄弟がいると、こういう風に感じる人も確かにいるだろうなと。

肉体関係を持つとき、相手が処女だと男の子は恐がる、というのも、私が信じ込んでいたことの一つだ。だからほんとうに好きな男の人と出会う前に、その人のために何とかして処女を捨てておかなければならない、と考えていたし、私にとってそれはむしろ貞操観念に近いものだった。

性的表現の多いコミック(例えば、南Q太の作品)に出てきそうな感覚。
「むしろ貞操観念に近い」か。面白い。

寛人が黙って私の手をつかみ、私はふり払いもしなかったので、手をつないで歩く恰好になった。寛人の手はあたたかく、汗ばんでいた。私は緊張した。手をつなぐのは、心浮きたつことではなかった。息苦しく、窮屈なことだった。早く解放されたかった。そうして、それでいて、私は寛人に、手を放してほしくなかった。

あたたかく汗ばんだ手の感触が伝わってくる。
窮屈で解放されたいにもかかわらず、手を放してほしくない気持ちにも共感できる。

「ああ、空気いいな」
心からの口調で寛人が言い、その瞬間、私は救われた気がした。

この女の子の感覚に、読んでいる自分も救われた気がする。

結局のところ、何もかもそれほど楽しくはなかった。私たちには、することも話すこともなかった。

若いときって、引き出しが少ないから、気まずい空間をどうにかなどできないものだよね。

「十七歳のとき、はじめて男の子とデートをしたの」
でも、それは、そう言葉にした瞬間に、私の言いたかったこと--言ってみようとしたこと、どうでもいい、あるいはどうしようもなかった日々のこと--とは違う何かになってしまう。
何ひとつ、ちっとも愉快ではなかった。美しくもなく、やさしくもなかった。それでも思いだすのは、あの夏の日のことだ。

言いたかったことをうまく伝えられない話って確かにあるなあ。話しながら、ああこうじゃない。どういえば伝わるんだろうと思う話。
どうってことのない日でありながら、思い出す日。だいたい若い時の話だよな、こういうのは。

熱帯夜

この話はかなり好き。

「お帰りなさい」
作業台の前に坐り、手を動かしたまま私は言い、全身で秋美の気配を味わう。ただいま、と言って、秋美は私の頭のてっぺんに唇をつける。秋美は外気の匂いがする。

「全身で秋美の気配を味わう」、「秋美は外気の匂いがする」。
そのコへのふんだんな愛情が伝わってくる。

私たちは夕食を家で簡単に済ませて、近所のバーにビールを飲みにでかけた。
バーと、中古レコード屋と、焼肉屋の多い街だ。夜の始まったばかりの、まだ群青色の空の下を、私と秋美はならんで歩いた。

いや~なんてことのないシーンの描写だけど、ここがいい!

「ビールって、つめたいのもおいしいけど少しぬるくなったのもおいしいと思わない? 夜おそくに飲むときはとくに」と言う。
「東京の夜の空気に似た舌ざわりがする」と。

この一文を読んで、少しぬるくなったビールが飲みたくなる単純な自分。

あいしてる、と、先に言ってくれたのは秋美だった。陽子ちゃんの家で出会って翌日また会って、一日空けてまたその翌日に会って、その翌日、くらいのことだ。私には当時別の恋人がいた。でも秋美に会いたくてたまらなくて、会うとたのしくて、自分たちを自由だと思えた。世界の外側にでられたと思った。

「出会って翌日また会って、一日空けてまたその翌日に会って、その翌日、くらいのこと」っていう、時間の表現の仕方がいい。
「世界の外側にでられた」と思ったこと、自分にはあるだろうか。

「でも、なあに」
私は首を横にふり、自尊心と羞恥心を全力で取り戻し、
「なんでもないわ」
と、こたえる。大地震をおこして世界中を皆殺しにすることができないのなら、考えても無駄だ。世界の中で、やっていくしかない。
「人生は恋愛の敵よ」
私は、最後にひとことだけ秋美に釘をさす。

「人生は恋愛の敵」。この言葉選びのセンス。

意志に反して、私の皮膚が秋美の皮膚を味わおうとする。過去も未来もなく、今夜どうしても。

「過去も未来もなく、今夜どうしても」。
衝動が伝わってくるなー

店の人に頼んで、私たちは三杯目のビールをグラスごと持って帰った。あした返しに来るから、と言って、秋美が交渉した。
「歩きながらうたうのも好きだけど、歩きながらお酒をのむのも好きなの」
と、秋美は言う。

歩きながらお酒をのむのか~。これもやってみたくなる。

「あいしてるあいしてるあいしてる」
私は言い、嬉しくなって駆けだしてみる。

やはり衝動的な性格なのか。可愛い。

空はもう群青色じゃなく、かといってほんとうの黒でもない。

こうやってあらためて文字にされると、空の色への自分の意識に優しく刺激を入れられている気がして心地良いのだ。

マンションに帰ったら、私たちはくっついて眠るだろう。たぶん今夜は性交はしない。ただぴったりくっついて眠るだろう。

「性交はしない」ってのにクスッとした。

「私たち一度は愛しあったのに、不思議ねぇ。もう全然なんにも感じない」
志保は言った。
「ねえ、どう思う? そのこと」

よくある話、よくある冷め方。
ではあるが、それをあらためてこう正面から言われると、そのシンプルなよくある事についていろいろと考えてしまう。

こまつま

デパートの最上階にある洋食屋にて、いつもは飲まないアルコールを、瓶の美しさに惹かれて注文して。

不愉快だった周囲の喧騒が、ふいに穏やかでなつかしいものに思われた。美代子はゆったりした気分になる。酒は、のむとからいが、のみおえると甘い余韻が残るのだった。

アルコールを口にして、不愉快だった喧騒が、ふいに穏やかで懐かしいものに変わる。
この感覚も、誰しも経験したことがある類のものではないだろうか。

洋一も来られればよかったのにね

私は独身女のように自由で、既婚女のように孤独だ。

1行目がこれだ。”既婚女のように孤独”って表現に一気に惹き込まれた。

ルイは、戸籍にはこだわらないと言った。他の男の妻のままでいいから、自分のところに来て一緒に暮らそうと言った。簡単なことだ、と。
それは、でもなつめには難しいことに思えた。大変こみいったことであるように思えた。

作業工程としては簡単であっても、気持ちとしては込入っているということだろう。

ルイとの情事がもたらしたものは、堰を切ったような記憶だった。自分が誰のものでもなかったころの、恋一つで人生がどうにでもなってしまったころの、本質的な記憶だった。
情事は、しかし終ってしまった。しかも、なつめがそれを終らせるよりずっと前から、おそらく物事は終っていたのだった。

もたらしたものが「記憶」という表現に、おっ!?と思わされ、「自分が誰のものでもなかったころの、恋一つで人生がどうにでもなってしまったころの、本質的な記憶」で完全にノックアウトされる。

住宅地

ほんとうはいますぐ呼び戻し、女について問い詰めて、頬の一つも叩いてやりたかった。それですむならどんなにいいだろう。
そんなことをすれば健がすぐに逃げだすことが、真理子にはもうわかっている。苦痛に耐えられない男なのだ。他人に対してばかりではなく、自分に対しても性格のよすぎる、やさしすぎる男なのだから。

「他人に対してばかりではなく、自分に対しても性格のよすぎる、やさしすぎる男」って確かにいるなーと強く共感。
それを「苦痛に耐えられない男」と表現することに感心。

どこでもない場所

「教えない」
と、言ってみる。
三人は礼儀正しくひやかしてくれる。どうしてー、とか、けちー、とか。語尾をのばす大人は、ばかか優しいかのどちらかだ。

なんだか、この文章で泣きそうになる。

注意深くするのは愚かなことだ。当然だ。誰かを好きになったら注意など怠り、浮かれて、永遠とか運命とか、その他ありとあらゆるこの世にないものを信じて、さっさと同居でも結婚でも妊娠でもしてしまう方がいいのだろう。

「永遠とか運命とか、その他ありとあらゆるこの世にないもの」か。冷静にばっさりと切られた気分。

号泣する準備はできていた

私の旅はいつもそんなふうだった。自分で土地を選び、自分でお金を貯め、自分で一人旅をしておきながら、あっさり打ちのめされる。寒さや暑さにうんざりし、孤独を苦痛に思い、こんな場所にはもう二度と来ないぞ、と思う。
そうしてそれでいて、日本に帰っていくらもたたないうちに、私はまた旅にでたくなり、土地を選びお金を貯め、身のまわりの物だけを持って家をとびだしてしまうのだった。

テンポがいい文章。読んでいて気持ち良くなる。

私たちは幸福だった。傍若無人で、こわいものなしだった。あるいは、何かを恐れることだけを恐れた。

“あるいは”が、なんかいい。

そこなう

子供のころに恐かったものについて。

「うはうはという言葉が、どういうわけか、恐かったの」
それは、なにか常軌を逸した言葉であるように思えた。父がそう口にしたあとに、強迫的な陽気さと淋しさが、声が消えても空中に漂っているように。

言葉が怖い。いやー、よくわかる、この感覚。

すこし前に、私たちは身体を重ねた。行為のあと、すぐにお酒をのむと私はきまって酔っぱらってしまうので、時間を置いてのむように心掛けている。たぶん、新村さんのすることがすばらしすぎるからなのだろう。私は空っぽになってしまう。それで、目の前にあるものをがむしゃらに吸収してしまう。

行為のあと空っぽになる。素敵じゃない。
空っぽになった自分は、目の前のものをがむしゃらに吸収する。動物的だ。

近所の女の人たちは、私の母を含め、みんな彼女を嫌っていた。だらしのない女だと言い合っていた。私にはそれが恐かったのだが、それというのが陰口なのか、ネグリジェの女なのか、自分の母親なのか、わからない。わからないというより、上手く区別がつけられないのだ。

怖さを感じても、具体的にその中の何が怖いのかの区別がつけられない。
だから一層怖いのかな。。。

あとがき

人々が物事に対処するその仕方は、つねにこの世で初めてであり一度きりであるために、びっくりするほどシリアスで劇的です。

確かに、厳密にいえば、日々一瞬一瞬、この世で初めてで一度きりの経験をしているのだなと思い至る。
それへの対処が、”びっくりするほどシリアスで劇的”とまでは言えないまでも。

たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。
そして、それは確かにそこにあったのだと思う。

正直、このくだりには完全にはピンと来ていない。
が、ある瞬間に腑に落ちそうな予感もあり。

かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短篇集になっているといいです。

あとがきまでも、いろいろと考えさせてくれる江國さん。

解説

エッセイストの光野桃(みつのもも)さんによる解説。

光野さんは「洋一も来られればよかったのにね」の美代子を憎み、また、いとおしむと云い、さらにこう続ける。

なぜ結婚は、ひとからなにかを奪うのだろう。愛の結実として結婚を選んだはずなのに、指の間からこぼれ落ちる砂のように、気がつくと失われたものの残骸だけが残っている。その苦さを噛み締めながら、それでもなんとか日々をやり過ごし、生きていかなければならない。

愛の結実のはずが、気づくと失われたものの残骸しか残っていないと。
本当に結婚ってなんなんだろう。
いろいろ、想いをめぐらせるには、うってつけの題材であることは間違いないのだが。


サブコンテンツ