寂聴 般若心経/瀬戸内寂聴著

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はんにゃしんぎょう

特定の宗教に心酔しているなんて事もないし、各宗教に対する好き嫌いもないが、人間が作り出した「宗教」という仕組みには興味があり、それに触れられる機会は持ちたいと常々思っていた。
また、一方で、瀬戸内寂聴の人となりにも興味を持っていた。(特に、俗っぽさと仏門のバランスについて)

そんなタイミングで、家族から譲り受けたのが本作。

般若心経--はんにゃしんぎょう(恥ずかしながら、つい最近まで「はんにゃしんきょう」だとばかり思っていた。)。
その名は聞いたことがあっても、その内容についてはよく知らなかった。

そもそも、般若心経の題である「摩訶般若波羅蜜多心経」とはどういう意味なのかというと、「向こう岸へ渡るための、いちばん大切な偉大なる智慧のお経」の意。

この本をざっと読んでみて、その内容を理解することよりも、仏教の基本的な考え方に触れられたことが非常に良かった。
長い間にわたって人口に膾炙しているのには、それなりの理由があるのだ。
寂聴がお寺で話した内容をまとめてあるので、口語の法話調の文体だというのも、気楽に接することができた理由かもしれない。

以下、気に留まった点をメモしておく。

 
キリスト教と、仏教の「愛」の違い。

キリストには「汝の隣人を愛せよ」という有名な言葉あります…… ところが、お釈迦さまは「愛するな」と言います。…… これは、われわれが愛するというのは結局、本当に相手のためを思うんじゃなくて、自分の欲望-自分がその人に惚れちゃったから、向こうにも私を思ってちょうだいということでしょう。相手を愛しているのではなくて、よく考えれば自分が可愛い、自己愛です。ですから人間の愛を、仏教では「渇愛」といいます。…… 人間のいろいろな問題は自愛から起こります。…… ですから、キリストの言葉とお釈迦さまの言葉は、ぜんぜん違うようでいて、実は同じなのです。…… 自分を捨てても、本当に相手のためを思う無償の愛、お返しを求めない愛でなければ、そんなものは愛じゃない

 
お釈迦さんの最期。

何の奇蹟も起こらないんです。医者にもろくにかかれずに、苦しんで、さびしく死ぬんですね。…… いいことをしたから、いい死に方をするなんて、そういうもんじゃない。

寂聴さんらしい感性。

 
お寺の役割とは。

お寺というのは、人が集まってくれないとだめなんです。人が来て法話を聞いてくれないと、仏教のありがたさが分ってもらえない。

納得。

 
死ぬというのは、どういうことなのか。

この私の中に今ある命は、どうなるか。それは、宇宙の生命に還元されるんだと思うんです …… 宇宙の生命というのは繰り返し繰り返し、あらゆる人間の生命を吸収しているから、だんだん強くなるんじゃないかしらね。宇宙の生命、それが神や仏じゃないかと私は思います。

物理的に実際どうなのかという話ではなく、イメージの話だろう。
そう思えば、そんなに変な話ではなく、しっくりくる。

 
解脱、涅槃について。

人間が生きている以上、肉体や心がいろんな欲望で燃える。…… 煩悩があるというのは、苦しいこと。…… この苦しみを絶つこと、四苦八苦の苦しみから解放されること。これが仏教でいう「解脱」です。サンスクリットでは涅槃、「ニルヴァーナ」といいます。人間の身体を形成しているもの、心が、すべて空だということがわかれば、私たちは苦しみから解き放たれます。

寂聴曰く、われわれが執着するものは、無なのだから、そんなにジタバタ執着しなさんなと。この世は、仮の世の中に過ぎないのだと。

 
「五蘊は空なり」における五蘊とは「色・受・想・行・識」。
すなわち、われわれの肉体的存在とか、感じ方、心の動き、そういうものはすべて空であるという意。

 
仏教でいうところの「法」は法律ではなく、宇宙を司る理法のこと。
宇宙はわれわれの力じゃないもので動いている。

 
何でもものごとは、真実を知ったほうがいいと言う寂聴。

ごまかされるより、真実を知ったほうがいい。真実を知って、なおかつその真実の苦しい人生を生きていくのがいいんです。

 
仏教における「三」が意味するもの。

仏教では三という言葉がとても好きです。それは数の三じゃなくて、無限ということを表している。ですから三世というと過去、現在、未来をいうんです… 無限の時間が三世です。永遠の時間です

それゆえ、三世十方(さんぜじゅっぽう)とは、十方が東西南北にその間の4つと上下を加えた無限の空間を表すので、永遠の時間と無限の空間のことを意味する。

仏教は多神教、汎神といって、神さま仏さまはたくさんいると言う。

どうしてそういう思想になるかというと、仏教ではわれわれ人間-衆生のすべての中に仏性があると考えるわけです。はじめから仏になる尊いものをいただいていると考えるんですね。それを育てていって悟れば、仏になるという。しかも人間だけじゃなくて、森羅万象、あらゆるものに仏性が宿る、と仏教では考えるんです。平たく言うと、すべての人間が悟れば、人間の数だけ仏があっていいし、猫も木も悟れば仏になる

 
懺悔の意義とは。

一年の間には、われわれは絶対に悪いことをしているんです。気がつかないで悪いことをしているんですよ。…… われわれは存在そのもので、気づかないうちに人を傷つけていることがたくさんあるんです。…… そして懺悔してください。懺悔すると、それが私たちの生きていく励みになるんです。人間は許されて生きなければいけないんです。

スッと腹落ちする説明。

 
「縁起」というと、縁起が悪いとか、縁起をかつぐ、などと使っているが、仏教用語としては違うと。
本来は、縁(よ)りて起こるということ。
人生の生の苦の現実を、ありのままに十二の段階にわけて示したのが「十二縁起」。十二因縁とも言われる。

1.無明(むみょう。無知、迷の根本)
2.行(ぎょう。身、口、意による潜在的形成力、生活作用、生活活動)
3.識(しき。識別作用、判断力)
4.名色(みょうしき。精神と肉体、心と物)
5.六入(ろくにゅう。六根、六処と同じ、眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの感覚器官)
6.触(そく。六根とその対象の六境が触れること)
7.受(じゅ。感受作用)
8.愛(あい。渇愛)
9.取(しゅ。執着)
10.有(ゆう。現実の人生の姿)
11.生(しょう。生れること)
12.老・死(ろう・し。苦を代表させたもの)

最初に来る「無明」とは心に明かりが無いこと。つまり、「迷い」「煩悩」に支配されていることを言う。
はじめに無明ありき。

 
「呪」について。

呪とはサンスクリットでマントラ。マントラとは真言(しんごん)のこと。真言とは如来の真実の言葉と思っていいでしょう …… 苦痛や災難を除いてくれる験力のあることばと思えばよくわかりましょう。…… 呪はまた陀羅尼(だらに)ともいわれます。

弘法大師は「秘鍵」の中で

真言は不思議なり。観誦(かんじゅ)すれば無明を除く。一字に千理を含み、即身に法如を証す

と言っている。

般若心経の最期の「揭帝揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝菩提僧莎訶」の部分は、昔から秘蔵真言分といい、すなわち『心経』の最も大切なところとして尊重され、わざと訳さないで、原語のまま読誦してきた。呪は、仏様だけがご存じで、他の人間は知らないのがいいとされてきた。


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