舟を編む/三浦しをん著

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三浦しをん著のベストセラー、映画化もされている。
話の内容もうっすらとは知っていて、興味は持っていた。
今回、一年ほど前に、楽天koboのキャンペーンを利用して無料でダウンロードしていたのを、ようやくiPadで読んでみた。

電子書籍で本を読むのはほぼ初めてだったからだろうか。なんだかサラっと読めてしまった。
ネット上の記事を読んでいるような感覚で。

 
以下、気に留まった点。

ひとつの言葉を定義し、説明するには、必ずべつの言葉を用いなければならない。言葉というものをイメージするたび、馬締の脳裏には、木製の東京タワーのごときものが浮かぶ。互いに補いあい、支えあって、絶妙のバランスで建つ揺らぎやすい塔

べつの言葉を使わないと定義できない。当たり前なんだが、新鮮に感じた。

 

「あがる」は上方へ移動して到達した場所自体に重点が置かれているのに対し、「のぼる」は上方へ移動する過程に重点が置かれている。たとえば、「あがってお茶でも飲んでいって」とは言うが、「のぼってお茶でも」とは言わない。…… また、「山にのぼる」とは言うが、「山にあがる」とはまず言わない

これは納得。

 

『匠のこだわりの逸品』などと言うが、ありゃ誤用だ。『こだわり』の本来の意味は、『拘泥すること。難癖をつけること』なんだから

へー、という話。もう現在では、誤用の方が主流だろうが。

 
登場人物のなかでもっとも人間的で愛せるのが一見チャラチャラしている西岡。

例えば、現在の彼女(的な人)と友達のときは何でも遠慮なく話せたのに、身体の関係を持つと逆に遠慮してしまっていろんなことを聞きにくくなったという西岡。

セックスしたら余計に距離が遠くなるとは、妙なものだ

それは、単純に彼女が大事な存在になったからだろう。

西岡にもプライドはある。なにに対してもさして入れこめず、無難に仕事をこなすもはかばかしい評価は得られず、常に他人と能力を比べてはあせっている。そういう卑屈な自分を、だれにも知られたくなかった。

非常に人間的で、ほっとする。

 
以下、辞書の編集に関してのいくつか。

読者から寄せられた指摘や要望も検討の対象になる。

当たり前だが、辞書でも、いや辞書だからこそ、利用者からの指摘は入るものなのだ。

 

見出し語の追加や削除が生じれば、場合によっては周囲の項目の字数も調整しなければならない。辞書は一ページのなかに整然と、余分な空白なく文字が収まっている。最終的に文字が見栄えよく収まるよう、前後数ページにわたって細かく手を入れる必要があった。

こんな苦労があるとは。

 
辞書の用紙について。

辞書の本文用紙は、いかに薄く、軽く、裏写りしないかを重視して決める

そう言われてみると、確かに辞書の用紙は特殊だ。薄いけどもめくりやすさも重要だと。

指に吸いつくようにページがめくれているでしょう! にもかかわらず、『紙同士がくっついて、複数のページが同時にめくれてしまう』ということがない。これが、ぬめり感なのです

ふむふむ。製紙会社もかなりの労力を払っているのだ。

 
校正刷りに関連する作業も、入稿が早かった「あ行」から順に進んでいく。だから、たいていの辞書は後半に行くに従って手薄になるという。

『ら行』や『わ行』の作業をするころには、刊行時期が迫ってきていて、時間との戦いになりますからね。この言葉も入れるべきだったのに、用例確認する人手も、ねじこむ紙幅も、スペースを調整する暇もない

そういう視点で辞書を見たことがなかった。とはいえ、実際に「ら行」や「わ行」を丹念に見たところで素人には判別できないだろうが。

ところで、日本語は、単語の頭に来る音が「あ行」「か行」「さ行」が多い。
だからしりとりに勝ちたかったら、単語の末尾が「や行」「ら行」「わ行」で終わる言葉をぶつけることだと。

 
「大渡海」監修の中心的役割を果たす国語学者の松本氏が、辞書の完成を待たずに亡くなって。

病院に詰めていた荒木から知らせを受け、馬締は呆然としたまま、編集部のロッカーを開けた。黒いネクタイの所在を確認するためだ。ネクタイの有無をまず確認する自分がおかしかった。感情と行動がどうにもちぐはぐになり、うまく制御できない。

揺らがない馬締も、ここでは揺らいだ。
これまた、人間的な面が垣間見えてホッとさせられる。

 
テーマが辞書を作ることだから、言葉への拘り(↑によるとこの使い方は誤用のようだが)が随所に感じられ、楽しめた。しいて難を挙げれば、登場人物がおしなべて良い人なので、パンチに欠けた点は否めない。


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