四半世紀経っても普遍的な内容が光る-「結婚しないかもしれない症候群」谷村志穂

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kekkonsinaikamo
初版平成2年の本。

長年、部屋の片隅に転がり続けていたのを、ようやく読み切ることができた。

本が書かれて四半世紀経っても、いまだに変わらず当て嵌まる部分も多く、以下、心にとまった箇所を記す。

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30歳を目前にした女性が、お見合いの仲介をしている親戚に言われた言葉。

残念ですね。学校を卒業してもう十年でしょう。だいたい三年を過ぎられますともう価値は下がるんでございます。やはり職業婦人としてのクサミが出てしまいます

職業婦人としてのクサミ」ってなかなか強烈な言葉。
現時点での一般の世の中では、もうそんな感覚はなくなっているだろう。

 

私はその「義務」という名のついた年金保険をやめてしまった。やめた……とはいえ、毎月律儀に請求書は送られてくるのだから、かってに払っていないだけだ。だからといっても逮捕されるわけではない。事実、フリーの仲間たちは私より先立って続々、この国民年金をやめていた。早計なわりには小心者の私は、おそるおそる彼らから情報収集をしてみた。彼らによると、ときどき都の年金課から電話があり、「払ってください」と言われるだけで、「お金がないんです」とふてぶてしく答えさえすれば、そのうちあきらめてくるのだそうだ。

ベストセラーの中で、こうも大っぴらに国民年金を払っていないことを公言するのも珍しい。
とても小心者だとも思えない。

 

私はつい最近になって、実は自分がものすごく淋しがりやなのではないだろうか、ということに気がついてしまった。
毎週、日曜日になると、とにかくくたくたになって一日を終えてしまうが、その理由をよく考えてみると、とにかくむやみやたらとスケジュールを埋めてしまうからなのだ。スケジュールが埋まっていないと、もうそれだけで不安になる。一日じゅう独りで食事をするなんてことがとても耐えられそうにない。何か間に合わせでもいいからつい用事をつくってしまうのだ。
 
それでも用事をつくれなかったりすると、家の中だけでも用事だらけにしてしまう。ビデオテープを山のように借りてきてはわざわざ自分にノルマを課してみたり、読むべき本をテーブルの上に積み上げてみたり、そうしたこまごました用事をわざわざ大きな紙に書いて張り出してみたりする。

後半の家の中の用事を作るまではいかないが、これは自分にも当て嵌まる。
もしかすると、自分だけでなく多くの人に当て嵌まることなのかもしれない。
無理に用事を作るまでいかなくても、用事があると安心する。用事があると余計な事を考えなくてもいい。

本当はものすごく淋しがりやなのよね。猫とおんなじ。束縛されるのはたまらない、って思うくせに、だれかにかまってもらえないとすごく淋しいの。耐えられないの

これも、よくある話ではあるが、似たような感覚は持っている人は多いのではないか。

 
両親が孫の顔がみたいというのを「いやんなっちゃうわ」と笑いとばしている人に対して。

本当はとっても傷ついていることがわかった。親不孝をしているって思うことに、ひどく落ち込む。すごくよくわかる。

「親不孝をしているって思うことに落ち込む。」
無意識に自分もそう感じているのか、ハっとさせられた。

淋しい気持ちを何かに置きかえるなんてことはとてもできないんだ、ということ。
かわりの恋愛、かわりのパートナー、かわりの楽しみ…… そんなものを見つけるくらいなら、淋しい気持ちをかかえながらなんとか自分自身をやりきるべきだ

淋しさの源のパワーが強すぎると、「置き換え」はもちろん「塗り替え」ていくことすら困難。

 

『愛しのチロ』は本当にすばらしい存在感を持った本だった。本当の愛情というものがどういうものなのか、淋しさをともに感じるというのはどういうことなのか、いっしょに呼吸をするということがどういうことなのか……みんなこの本が教えてくれたような気がした

著者が荒木経惟氏の『愛しのチロ』を作中で称賛している。
これを読んで、ついamazonでポチっとやってしまった。
読んでも読んでも本が一向に減らない…

 

独身主義の人ってみんな異様に子供が嫌いじゃないですか。集まってお酒なんか飲んでいても、何かっていうと子供が嫌いだって話になる。近くの席にまちがって子供なんかすわっててちょっと騒ごうものならすごいけんまくで怒る。気持ちが悪いとまでいう。
そのうえ、子供をつくる人なんてばかよねとか、子連れ友人をばかにしだしたりとか、散々。それで結託して盛り上がって励まし合っているようなところがあって、私にももちろん同意を求めてくるんですよ

インタビューした人の言葉。
ここまであからさまに子供嫌いの人って自分の周りには見当たらない。
それは自分の周りにいないだけなのか、それとも自分にもそういう姿を見せていないのか、はたまた時代の変化なのか。

 

「ヨーコの個展に行った。会場の真ん中には天井まで続く白い階段があって、上ってみると小さくこう書いてあったんだ……YES……。もしもそれがNOだったら、僕は彼女のことを好きにはなっていなかったと思う」
「嫌い」という言葉は、「好き」という言葉より何倍も強く人を動揺させる。

ジョン・レノンの言葉に絡めて。
自分はNO派かも。
ただ、「嫌い」という言葉の負のパワーはよくわかる。

 

女性にとってよい年齢のとり方もある…… とそんなことを今はとても信じられずにいる。私は年をとるのがものすごく怖い。今、二十七歳というこの年齢が、私らしくいるための、もう限界のような気がしている。

「私らしくいるための限界」。
二十代の感性として、わかる気もする。
ただ歳を重ねると、その「限界」を先に伸ばしていく術が身についてくるのではなかろうか。

 

小さな彼女が、結婚するというそんなに幸福な知らせを私に言い出せなかったなんてことに、傷ついてしまったのだ。
そして彼女に対して、とっても申しわけなく思ってしまった。彼女は結婚が決まってすごくうれしいはずなのに、私に報告しなければと思う気持ちが、彼女の幸福に一点かげりを落としていたなら、それは本当に申しわけないことだ。

作者が、歳の離れた妹の結婚に絡んで傷ついた話。
主観的にはこのとおりなんだろうけど、今や世の中でいくらでもある話ではある。
共感しつつも、そもそも「結婚」がさほど「幸福な知らせ」ではなくなりつつあることも感じる。

 
話はだいぶ変わるが、作中で『結婚の起源』という本が紹介され、なぜ人間のメスだけが、発情期を失い、いつでもセックスできる動物になってしまったのかについて語られている。

人類が二本足で歩き、直立するようになったことから始まる。
二本足で歩く動物は骨盤が狭くなり、自然界の基準では「早産」にあたる状態で子供を産み落とさなくてはならなくなった。長い時間母親はつきっきりでその育児にあたらねばならなくなり、えさを獲得することも、外敵と戦うことも、オスの協力なしにはできなくなってしまった。他のあらゆる動物は(一部の鳥類を除き)、妊娠さえしてしまえばあたりまえのように、メスだけで子供を産み育てる。
 
人間のメスは、なんとかしてオスを自分の側に引き止めておかねばならなくなってしまった。そのために、いつでもセックスできる魅力的な動物に進化せざるをえなかったのである。

そして、「結婚」という契約を結ぶことで、オスに育児の責任を半分、義務づけるようになったと。

 

結婚生活というのは、一度してみてわかったんだけど、私にはもう必要があるとは思えないの。私、本当に男性の支えというものが必要ないんだと思う。もちろんいっしょにいたら楽しいし、助け合えるし、それは本当にすてきなことなんだけれども、自分が生きていくためのエネルギーにはちっともならなかった。むしろ一人のほうがずっと私らしくエネルギッシュにいられた。ただ、何か、もっと心の糧になるものが欲しかったの。私には、それが子供だったってことかな

離婚して、再婚せずにシングルマザーとして子どもを産み、育てていこうとしている女性の言葉。

 

託児所はかなり真剣にさがしたわよ。都で運営しているものなんて、もう99%がおそくとも夕方六時には引きとらなくてはいけない。ところがようやくさがし当てたの。そこは、元ナースだった女性たちがひっそりと運営している託児所なんだけど、働くお母さんのためのところでね、毎月18万円払うと、夜の九時まで預かってくれて、それを過ぎた場合はそのまま子供を泊めてくれるの。環境もいいし、ミッション系なので、妙な人情を押しつけられないし、本当にいいところが見つかってほっとしてるのよ

月18万円払える人はわずかだと思うが、バリバリ働く人でシングルで子供を育てるのはいかに大変かがわかる。
現在はどうなんだろうか。

 

高齢出産のことをやたら心配するのは、日本人が特に神経質になってしまっているからでしょうね。
よく、高年出産は染色体異常が多いという話を聞くと思いますが、これはもう数字のマジックなんですね。もちろん、高齢になるほどその割合は高いですが、たとえば500人に一人が100人に一人になる、というような違いで、それはいずれにしてもレアケースなんです。それをどう受け止めるかは、その人の精神的な問題になってくると思うんです。

産婦人科医、丸本百合子さんの言葉。

 

出産の問題も、女性が働くという問題も、独りで生きていくという問題も、すべて女性が女性の足を引き合っているように、私には見える。働く女性たちの中には専業主婦への明らかな優越意識があるし、専業主婦は働くお母さんの子供に冷たく当たる。

くだらない話だが、この現実は、今もなお残っているのだろう。

 

よく年末になると独り暮らしの老人の孤独な死というのが報道されますね。ところが、老人の自殺の場合は、ほとんどが家族と同居している場合なんです。独り暮らしの老人は精神的にむしろ強い。孤独の不安と戦いながら、むしろそれを心地よくも思っていられる。それより家族と同居している老人が、たとえば嫁や孫にいじめられる。息子に意地悪を言われる。もう何も信じられなくなるんですね。心のよりどころをなくしてしまうんですね

東京都の監察医を30年勤めた医学博士の上野正彦さんの言葉。
上野氏は本も出されているようだ。タイトルも気になる『監察医の涙』など、いつか読んでみたい。

 

外野席にすわって見てたんですよ、球児たちをね。暑い日でね、観客も超満員。喚声が渦を巻いて響いてるんですけどね、ぼくはなんだか急にね、こんなこと思っちゃったんですよ。当時のぼくと同じようにセンターに立っている少年の背中がね、なんだか異様に淋しそうでね。ぼくはあんなところに独りでポツンと立っていたんだな。あんなに淋しいところに独りぼっちでいたんだなって。

これは、本書の主題とは関わりが薄いが、球児だった自分に刺さった、元甲子園球児へのインタビューでのセリフ。
外野は孤独感があることを痛烈に思い出して、不安に襲われた。

 
作中で、ボブ・ディランの「フリー・ホィーリン」のジャケットのデート・シーンが、どの映画でも見たことがないほど楽しそうと紹介されていた。
freewheelin
それが、これ。
確かに楽しそう。

作中で登場するオルゴールに使われている曲が、ピーター・ポール&マリーの『パフ』という曲。YouTubeで聴いてみると可愛らしい曲だった。
正式な名称は「Puff the Magic Dragon」。
だからピンクの恐竜のオルゴールに使われていたわけだ。

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全体を通して。
作者の若さが節々に感じられるが、テーマが当時斬新だっただろうし、今読んでも共感できる部分が多かった。


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