【書評・感想】 帰れぬ人々/鷺沢萠

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kaerenuhitobito

好きな作家、鷺沢萠の短編集。
御殿場へ向かうロマンスカー内と、山小屋内にて再読。

短編ということもあり、読後に強い印象は残らない。
なので、以下、書評というよりも、気に留まった表現、箇所を記録にとどめておく。

川べりの道

吾郎を家に招き入れることができる日は、父は吾郎を奥の茶の間に坐らせる。何もいらないと言っても、父は台所からジュースやら煎餅やらを運んで来て吾郎の前に並べる。そして顔中に深く皺を刻ませ、吾郎の顔を見る。学校はどうだ、とか、吾郎の姉の時子は元気か、とか、成績はいいか、とか、父の訊ねることは毎月決まっている。吾郎は畳の上で足をむずむず動かしながら、いちいち「うん」と頷く。

容易に脳裏に浮かべることができる、父と息子が向き合い、定型の会話を交わす茶の間の風景。

不思議に思うのは、あの川べりの長い道を歩いている間は、早く父に会いたくて、というより早くこの家に着きたくて仕方がないというふうなのに、この家に着いた途端、早く帰りたいという気持ちでいっぱいになってしまうことである。

子ども時代に限らず、大人になってかなり時間が経つ最近でさえ、こういった心持ちになることが時々ある。

父の話に一段落つくと、吾郎は次に父が口を開く前に立ちあがる様子を見せて言う。
「じゃ、俺もうそろそろ……」
その一瞬に父の見せる表情を、吾郎は何と形容していいか判らない。口を少し開けたまま、父は空洞のような目をする。それは残される者の不安とも、残る者の安心ともいえる。鼻づらを突然はたかれたかのような顔をして、父は「そうだな」と不興そうな短い声を出す。

そろそろお暇することを告げる時の、えも言われぬ空気感、緊張感が伝わってくる。

「忘れるとこだった」さり気なく言うことで、父は吾郎がこの家を訪ねるのは、決してこの封筒のためだけではないのだ、ということを自分に納得させているようでもあった。

自分に納得させることが主目的だろう。父親の気持ちが痛いほどわかる。

アパートに移り住んだのは母の死の半月ほどあとだったろうか。吾郎は、時子とふたりではじめてアパートの部屋に入ったときのことを忘れられない。入ったすぐのところの小さな板の間の台所を見て、ドキンとした。すでに夕闇のせまる時刻だったが、奥の間の電球が切れていて点かなかった、あの心細さ。荷物の詰まった段ボール箱に囲まれて、身体を丸くして毛布だけかぶって寝た。次の朝、食器がどの箱に在るのかも判らず、とにかく空腹のために近くのスーパーマーケットまでパンを買いに走った。そういう気持ちは、説明して他人に判ってもらえるものではない。

そうは言っても、程度の差こそあれ、新しい環境に入った直後に感じる、孤独感、淋しさは誰にでも感じた経験はあるだろう。

帰れぬ人々

俺には故郷がない。
ずっと昔、酔った父が言ったのを聞いたことがある。そのことばどおり、父は帰る場所のない人生を送ってきたのだろうと村井は思う。そうしてそれこそが、父をいつでも人恋しくさせていた原因である。

故郷がないことが人恋しくさせていたと断言する、このくだりにはハっとさせられた。

語学を学ぶということと、「食える」ということを、恵子のように明確に結びつけている者はそんなに多くない。…<中略>…しかも女の子で、若いうちにはありがちな外国に対する見当外れな夢想や、自分の可能性というものへの過度の期待といったことと切り離した地点で外国語をやっているのは珍しいと言ってしまってもいい。…<中略>…人間の考え、殊に生活の手段に対する考えは、その人の育ってきた環境をくっきりと反映するものだ。

語学は食える。そう言われれば確かにそうだが、自分にもその考えは欠落していた。
学生時代の自分は、完全に「見当違いな夢想」寄りのイメージしか持っていなかった。

「そのときあたし思ったの、やっぱりあたしたちなんかが、こんな大っきな家に住むのは変なんじゃないかって…」…<中略>…恵子は窓際に坐ったまま、白んでゆく空を見ている。この女も、もう長いことずっと、どこかに帰りたいと思っていたんだろうな、と村井は思った。

帰りたいけど、帰れない人々。
考えさせられるテーマではあるが、故郷がない人なんていくらでもいるし、それへの哀愁につきあいたい感覚は自分には少ない。
故郷があったところで、そこに帰りたいと思うものなのだろうか。
自分にはわからない。

 
本作を上梓するうえで、きっかけとなったのは、小関智弘という作家の「羽田裏地図」という小説だという。現在は絶版となっているようだが、Amazonで買うなり、図書館で探すなりして、いつか読んでみたいものだ。


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