【書評・感想】 ひとたびはポプラに臥す(4)/宮本輝

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久しぶりに接する、宮本輝氏の作品。
ただ、今までは小説しか読んだことがなかったが、本作は旅のエッセイである。

なぜ1巻ではなく4巻からなのかというのは……譲り受けたものだから。

全般的に、さらっと読んでしまう内容。
驚くべきことが書いてあるということもなく、含蓄に富む何かがあちらこちらに散りばめてられているわけでもない。
宮本輝氏の日記のような、旅の途中にふと思い出した話や、頭に浮かんだ過去に読んだ書籍の話などがとめどなく綴られている印象。
なんというか、酔っ払いながら話しているような内容の箇所も散見される。
また、全編を通じて痛切に伝わってくるのは、土地の不衛生さと、一行の体力が落ちていること。
読んでいるだけで、時にお腹がキリキリ痛んでくるほど。

宮本氏は19歳の息子をこの旅に帯同させている。彼は息子の一挙手一投足が気に入らないという。息子も早く中国を出たくてたまらない様子。
自分も、中学生の頃に1度、社会人になってから1度、父親と二人で旅をしたことがある。もちろんこんなに過酷な旅ではないが。中学生の頃は自分が余りに子どもで親との旅にまったく興味がなかったということ。そして父親もまだ宮本氏に倣って言うまでもなく、”血気盛ん”で我儘放題だったということもあり、楽しかった思い出とは言えない。
社会人になってからの旅は、自分もある程度大人になって父親を気遣えるようになっていたし、父も血気盛んではなく私に気を遣っていた。
19歳というのは微妙な年頃だと思う。大人の責任も求められず、子どもとしても扱われない。そういう難しい時期の旅なのだ。

以下、学んだ点や関心を惹かれた点。

・「機を知れば心おのずから閑たり」。最も大切なことさえわかっていれば、人生、いかなる風や波があっても、心は豊かであるという意味。

・森敦氏の「月山」を絶賛している。

文学の世界には、とりわけ日本文学には文章の力だけで読ませる小説というものがあって、私はそのような小説が好きなのである。たとえば、その代表的なものは、森敦氏の「月山」であろうかと思われる。とりたてて起伏に富んだ筋立てがあるわけではない。にもかかわらず「月山」は読む者を最後まで惹きつけてやまない。まるで魔法のような文章であるのに、一行たりとも意味不明の部分はなく、もってまわった、いかにも文学的な語句もない。まさに小林秀雄が「モオツァルト」で書いたように、誰もが真似できそうだが誰も真似できたためしがない、という文章なのだ。

・ラクダ草、紅柳(タマリスク)、々草(※何と読むのか不明)の三種類の砂漠の草は、古来から砂漠の三宝と呼ばれてきた。蘇々はラクダ草の正式名で、ラクダの唯一の食べ物となるだけでなく、人間にとっても薬草としての効能がある。紅柳の根に寄生する植物も貴重な薬草となり、々草を焼いた灰は麺に入れると、こしがあってのびのいい麺となるそう。

・人類史上で、初めてナマコやツバメの巣を食べ、フカのヒレのうまさに気づき、動物の内臓や骨や皮や、植物の葉や幹や根を調合して、傷んだ体を治療する薬を作ったやつ。そのほとんどは中国人。

・開高健氏が「玉、砕ける」という短篇小説のなかで、以下のとおり何百年間も火を絶やしたことのない西安の大鍋について書いているとのことだが、この描写には惹きつけられる。

その大鍋には、鶏、うずら、豚、牛、羊等々、中華料理に使われる肉が骨ごとすべてぶちこまれ、玉ネギ、ニンジン、白菜、キノコ等々、これまたありとあらゆる野菜がぶちこまれている。煮たったら水を足し、なかの肉や野菜が減れば次から次へと足していき、かきまわされ、あくが取られる。
その大鍋屋の前には、毎日、客たちが並ぶ。主人は碗に鍋の中身を入れて、一杯幾らで売る。碗に何が入っているのかはそのときの運次第。三百年前の鶏の足かもしれないし、きのうのニンジンかもしれない。

・洗濯物に独りで話しかける少女について

黄土高原の、あまりにも貧しい農村のたたずまいと、ひとりで洗濯物に話しかけていた少女の孤独な姿が浮かんだ。あの少女は、洗濯物と、どんな話をしていたのだろう。いまの日本に、そのような少年や少女がいるだろうか。貧困は罪悪だ。けれども、豊かすぎるのも罪悪だという気がする。

洗濯物に話しかける。それを感傷的に捉えるのは、足りている国の人間ならではだろう。それに引き換え…というのは発想としては単純過ぎる嫌いがある。とはいえ、その気持ちはよく理解できる。

・高山病対策のために日本を発つ前に病院で利尿剤を貰ってきていたという話があった。調べてみると利尿剤が高山病に効くのではなく、高山病に効く薬の1つ(ダイアモックス)に利尿作用があるとのこと。
参考:http://www.jac.or.jp/info/iinkai/iryou/page-03-041.html

・中国では、国民が外国に行くとき(帰国時ではなく)にエイズ検査が義務づけられており、検査結果が出るまでに一週間ほどかかるが、ワイロを払えば証明書はすぐに書いてくれるとの記述あった。ネットで調べる限りでは、日本人に関連が薄いからか、そのような事実に関する直接的な記述は見当たらなかった。しかし、2011年に『出入国エイズ予防管理弁法』の改訂により「国外在住1年以上の中国国民はエイズ検査を受けなければならない」という項目が削除されたということがニュースになっていた。

これを素直に読むと、1 年未満の国民は検査が不要だったということ。つまり、出国時に全員HIV検査を必須とし、短期的な国外滞在のすべての人を帰国時に検査するのは物理的に不可能なので、1年を基準にし、1年以上の国外滞在者のみ帰国時にも検査を課していたと。でもそれが帰国者にとってあまりに不便なので撤廃されたという流れ。ということだろう。

・1986年に上海を訪れた際に、「アナタ、男ハ好キデスカ?」と失礼な態度で話しかけてきた若者二人に激昂した出来事に触れ、腹を立てて、それを何等かの行動に移しかけたということ自体が恥ずかしかったと振り返っている。これは共感できる。誰しも似たような感覚は持つ話ではないだろうか。

・ファーブルの「昆虫記」について。

興味を持った昆虫を、とにかくファーブルは徹底的に自分の目で観察しつづける。それも一年や二年じゃない。七年も八年も、ときには十年以上も観察し、私見も先入観も最後まで持ち込まない。あの無垢というか、一途というか、人によっては愚鈍とまで評された観察記録が、どれほどすごいことを人間に教えているか…。ただただ驚嘆と畏敬の念があるのみ

誰もが知っているであろう有名な著作であるが、しっかり読んだ記憶はない。近く、手に取ってみたい。

・三島評。若いころはよく読んだが、最近は読まなくなったと。曰く「人間、四十を過ぎると、三島の小説にはつきあいきれない」。自分も、まずは四十になる前に、一冊は読んでみよう。

・マッカーサーが占領政策においてもっとも重視したのは「日本人に道徳教育を与えない」という一点であったという記述があった。調べてみると、確かに昭和20年の年末にGHQが修身、歴史、道徳教育の停止を命令している。様々な論調を見るにこれは愛国心を失わせようとしたというのが大方の見方のようだ。愛国心が戦争を招いたと。そして、愛国心を失った日本が骨抜きになったと。宮本氏も、道徳教育を受けなかった親に育てられた子ども世代の今は、精神的衰退の状態にあると述べている。

でもどうなのだろう。GHQ側の真意がどこにあるのかはわからないが、占領下の数年間(講和条約発効までとすると約7年間)の道徳教育の停止で骨抜きになる国って何なのだろう。その影響が少なからずあるのかもしれないが、少なくとも知識人が、だから今の日本は衰退しているというのには違和感を覚える。そんなに短い歴史の国でもないのに。

小説とは異なり、宮本氏の人となりや頭の中が垣間見れるのは興味深い。

なお、ところどころに差し込まれている北日本新聞の田中勇人氏の写真がなかなかよい。
特に気に入った、何枚かを以下に紹介。

yoghurtseller
  ヨーグルト売り

tomb-in-gobi
  ゴビの墓

brothers-carrying-water
  水を運ぶ兄弟

row-of-poplar-trees
  ポプラ並木


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