日経が教えてくれた「大逆事件」と「南北朝正閏問題」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

高校時代世界史選択だったこともあるうえ、
学生時代歴史があまり好きじゃなかったこともあって
私は日本史に関する知識が著しく少ない。

しかし、毎週日曜日(?)に日経に連載されている「熱風の日本史」は興味深く読ませてもらっている。

昨日の「歴史学が抹殺された日」も面白かった。

まず、存在すらもまったく知らなかった「大逆事件」について

明治43年5月、天皇の馬車に爆弾を投げ込む暗殺計画を企てたとして、幸徳秋水ら若い活動家が逮捕される。
裁判では、天皇・皇太子らに危害を加え、または計画したものは死刑とする刑法78条の大逆罪が初めて適用され、翌年1月18日、秋水以下24人に死刑判決が下される。
半数の12人は恩赦により無期懲役に減刑されたが、秋水らは判決から6日後の1月24日に処刑された。

この処刑までの迅速さは、現在では考えられない。
これを受けて、永井荷風や徳富蘆花、石川啄木らの知識人はこぞって政府を批判。

そして、秋水が公判で言い放った以下の言葉がきっかけで、違った問題も引き起こされていった。それが「南北朝正閏問題」である。

「今の天皇は南朝の天子を殺して三種の神器を奪いとった北朝の天子の子孫ではないか。それを殺すのが何故それほどの大罪か」

どういうことかというと、徳川幕府から政権を奪取した維新政府の正統性を担保していたのが「天皇」だったのだが、政府の統治思想と明治天皇の「正統性」には矛盾があった。
そもそも維新の尊王思想は水戸光圀(=水戸黄門)が編纂させた『大日本史』の歴史観に基づく水戸学の影響を強く受けており、水戸学では天皇が2人いた14世紀の南北朝時代について、南朝を正統とする立場をとっていた。しかし、秋水の言葉にあるとおり、明治天皇は北朝天皇の子孫なのである。

普通に考えると、上の流れを受けると国民も天皇の正統性を疑うようになりそうだが、その後の動きはその方向には向かない。

まず、当事の小学校の教科書が南北両朝を並立表記していたことを、国の失態だと読売新聞が明治44年1月19日の社説に掲載。

面白いのが、世論は北朝を正統と考えたのではなく、楠木正成・正行親子の「桜井の別れ」など、南朝の忠臣物語を好み、圧倒的に南朝びいきだった点。

野党も当事の桂太郎内閣の失策として、大逆事件と合わせて責任追及する政治利用をする始末。

同年3月3日には、内閣決定、枢密院会議を経て聖断(天皇の決断)という形で南朝を正統とすることが決まった。(ただし、天皇は枢密院会議を欠席している。)

その後、改訂された教科書では、それまで歴代に数えられていた北朝5代の天皇はすべて除外され、ただの皇族として「院」と呼ばれた。

そう。結局のところ明治天皇の正統性については、世の中では大した問題となっていないのだ。
ここが非常に不思議。


サブコンテンツ